第4話 拝啓 三十一の君へ

「白飯にするか クッパにするか」
目下の悩みは主食の選択だった。
無煙って、なあに? と言わんばかりに煙が立ちこもる店内は、
開店間もなくして既に満席だ。上ホルモンはすでに売り切れたという。
服や髪の臭いを気にするような輩は、一生この旨さを知ることはなかろう。
ハラミの焼き上がりを待つMぐるまは、この店に来るたびそう思う。

食事が中盤に差し掛かっていたこともあり、クッパを選択することにした。

社長が書き残した手紙の内容は「買ってくれたお店に戻りなさい」。
負けそうで 泣きそうで くじけそうだったMぐるまは、
ここ数日の間、社長の言葉を信じ歩いている。

この焼肉店は、ちょうど「買ってくれたお店まわり」6件目だった。

『いいちこ日田全麹を買ってくれたお店に、答えがあるかもしれないからね』
社長の手紙に記されていたその一文は、いまだ現実となっていない。

「いや〜、こんな有名人に頼まれたらねぇ」
「あんた、もしかして有名人なの!?」

「はい」と力強く返答した後に、罪悪感に襲われ「そのうち」と付け加えた。

営業で使用しているMぐるまTシャツとフライヤーは
『こんなに色々グッズがあるなんて、有名人に違いない』
そんな勘違いを生み出していた。
それが、本日までの「買ってくれたお店まわり」でMぐるまが得た事実だ。

社長の手紙と事実が一向に交わらない。
Mぐるまは何で どこへ向かうべきか 問い続けたが、不明のままだった。

卓上のロースターが、随分とこびりついてきた。
締めのクッパがテーブルに到着した頃、食事を終えて会計に向かう客が増えてきた。
「今だ!」Mぐるまはこのタイミングを待っていた。
忙しい最中に、お店の大将に声を掛けるわけにはいかない。
急ピッチで、クッパを平らげた。
熱かった。熱かったが、冷めるよりはマシだった。

ひとつしかない胃袋が何度もばらばらに割れるかと思うほど熱かった。
舌の火傷はもちろんのことだった。

「た、たいしょう..」ハフハフ感は残っていたが、
やっと声を掛けることができた。

「いいちこ日田全麹ってどんな料理に合いますか?」
この質問が、Mぐるまにとって本日のメインディッシュである。

「やきにく」 大将は、即答かつ正確だった。
焼肉屋で「どんな料理」と聞いても、答えは「焼肉」だ。

「いらっしゃいませー!」また、客足が増えてきた。
「ま、ゆっくりしていってよ」大将は笑顔で厨房に戻った。
期待していた答えは得られなくとも、妙に納得したMぐるまは店を後にした。

翌朝、出社したMぐるまは無口だった。
N先輩が声を掛けても「誰にも話せない悩みの種がある」と
小声で返答するばかりだった。

「明日いいちこ本社の人が来るから、打合せの準備しておいてね」
その日の午後、Mぐるまは社長から連絡を受けた。
いいちこ本社の人なら「答え」を持っているかもしれない!
予期せぬところに期待を寄せるほど、Mぐるまは苦しい中を生きているのだ。

「N先輩!聞いてくださいよ!!」
期待感を持て余し、迫り来る勢いで喫煙中のN先輩に報告した。

「よ、良かったね。つーか、元気?じゃん。な、悩みの種は解決したの?」
N先輩は、今朝の悲壮感から豹変したMぐるまに完全に引いていた。

「実は…昨日焼肉屋で舌を火傷しちゃって…エヘヘ」
「水がぶ飲みしてたら、だいぶ良くなりました…エヘヘ」
さして可愛くもない「エヘへ」と、誰にも言えないほどの悩みではないことに
N先輩は失笑し、無言でその場を去った。

翌日、いいちこ本社からやってきたAさんは
「ブログ、読んでますよ」と爽やかな笑顔をMぐるまに向けた。
「楽しみにしてます」とか「ブックマークしてますよ」とか言われ、
ふんわり、気分が良くなりつつあった。
「いや〜大変なんすよ、実は..」と、語り口に差し掛かった時だった。

Mぐるまの背中を、鋭利な何かが貫いた。

その衝撃に、一瞬身体が硬直したものの振り向く勇気はなかった。
今、背後にいるのはただ1人。社長だ。
「おい、わかってんだろうな」という社長の心の声が、
Mぐるまの背中に釘を刺しているのだ。

「と、ところで、日田全麹ってどんな料理に合います?」
危うく調子に乗るところだったが、本題に踏み込むことができた。

「いいちこ日田全麹は大分のお酒です。故郷の味とはおのずと相性が良いですね」
Aさんは、すんなりと回答してくれたように思えたが、
それはまだ、Mぐるまの求める答えではなかった。

「大分の郷土料理…..からの〜?」そう言えれば楽だったかもしれない。

八丁味噌にまみれて育ったMぐるまは、大分の郷土料理がピンとこない。
『ゆふいん』 大分から連想されるのは、せいぜいこの4文字だった。
だが、ここで「知らない」と発言するのは、営業マンとしてどうなのか。
仮にも、いいちこ日田全麹拡販プロジェクトのリーダーである。
さらに言えば、この体格を持ってして「グルメに疎い」なんて、
俺的にどうなのよ?人としてどうなの?

...黙殺。

間の悪いプライドから、Mぐるまが選んだ手段だ。
アクティブリスニングの一つに「沈黙」が含まれていたはずだ。
いつか読んだ本を思い出し、無駄なプライドを正当化した。

「からの」「つまり」「それは」「たとえば」心の中でAさんを煽りつつ、
Mぐるまは沈黙に徹することにした。

やせうま、りゅうきゅう….馴染みのないフレーズが
Aさんの口からこぼれ落ちた。

「やだ、なに? この人なまってる?」
Mぐるまが一瞬戸惑いを見せると、Aさんは1枚の紙を差し出した。

「今日はMぐるまさんに、これをお渡ししたくて」
笑顔で差し出された紙には、とり天、関さば、やせうま、りゅきゅう…
大分県の郷土料理が並んでいた。

キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!
Mぐるまは、心の中でそう叫んだ。
瞬時に「あ、嘘。今のだせえ」とも恥じた。
しかし、その紙はMぐるまが求めていた答えにほど近いものだった。
郷土料理の他に、いいちこ日田全麹を楽しむアドバイスまで記載されているのだ。

「ありがとうございます!」
やっと開いた口とは思えぬ、なんともありきたりな台詞だったが
Mぐるまは心の底から感謝の念を述べた。

「何を食べても美味しい」と、大人のMぐるまにも
傷ついて眠れない夜はあったが、明日の岸辺へと夢の船が進みだす予感がした。

♪ランランラ ランランラ Keep on believing Keep on believing…♪
マナーモードにし忘れたMぐるまの携帯電話が鳴りだした。
しまった!と思い、慌ててポケットから携帯を取り出すと、
ここ数日の「買ってくれたお店まわり」で訪問した居酒屋さんからだった。

「ちょっと、すいません」と席を外し
「どうも〜〜、Mぐるまですぅ〜〜」と、いつものように電話をとった。

「えぇぇぇっっ!!?」
それは、思わず大声になってしまうほどのナイスな話だった。

数分後「りょ〜か〜い でえ〜す」と、そそくさと電話を終え、席に戻った。
Mぐるまは、嬉しさを隠し、あえてしかめっ面をしてみたが、誰の目から見ても
「きっと素直に打ち明けるだろう」というものだった。

「日田全麹の評判が良いらしくて、追加発注いただきましたよぅ〜!
今まで入れてた焼酎も、日田全麹に代えてくれるそうですぅ!!
んもうっ、この前言ってくれれば良かったのにぃ〜」

Mぐるまは、とろけんばかりの笑顔で期待に応えてみせた。
黙殺とのギャップに周囲を引かせてしまった気もしたが、
打ち合わせは和やかに終了した。

「買ってくれたお店まわり」は明日が最後だった。
Aさんがくれた紙は、今迄で最強の営業ツールになる予感がした。
そして、Tシャツやフライヤーを「ふざけている」とも少し感じた。

大分の郷土料理とは知らずとも、とり天は食べたことがある。
明日さっそく提案してみようと、いくつかのことを手帳にしたためた。
・郷土料理の提案してみる(とり天)
・専門店に当たり前な質問をしない(焼肉屋さんなど)
・社長の声を卒業し、自分の声を信じ歩いてみる
・人生の全てに意味があるから、恐れずに自分の夢を育てる
具体性のないことまで書き込んでいたが、「勝利の勢い」を優先することにした。

この手帳を開く、明日の俺が幸せであることを願います。
10月20日。三十歳のMぐるまが三十一歳をむかえる前日のことである。