第6話 Get Wild

Mぐるまは、一番になれないね。もう、いいよ」

社長からのその言葉を恐れて、Mぐるまは決断できずにいる。

もし、この電話に出なかったら...でも、この電話に出てしまったら...
「電話に出ろ」と厳しく注意を受けたばかりなのに、
チープなスリルに身を任せて着信音に怯えていた。

「なんだ、いるじゃん」
突然、背後から声を掛けられたMぐるまは、
驚きのあまり「んあぁっ!」と声をあげた。

振り返ると、携帯を片手に持った社長が立っている。

「・・今、寝てました」気まずさを増幅させる言い訳をしてしまった。

「ちょっと駐車場まできてよ。運んでほしいものがあるんだけど」
社長は言い訳をスルーして、用件だけを告げた。

「運んでほしいもの」は50cm四方の段ボールに入っていた。
大きさはあったが、持ち上げてみると意外に軽かった。

「孤立しちゃったね」ふいに、社長が呟いた。
「ひとりでも傷ついた夢を取り戻してね」
社長にポンと肩を叩かれ、Mぐるまの涙腺が緩んだ。

「しゃ、しゃちょう...」涙と鼻水をこらえようと必死だった。
【すいませんでした】そう伝えたかったのだが、言葉が出てこない。
「それ、明日から使っていいよ。まあ・・・が・・がんばれ!」
そう告げた社長は、笑いをこらえているようにも見えた。
表情までは確認できなかったが、社長はそのまま立ち去った。

まだ灯りがついているテストキッチンに、N先輩の姿が見えた。
「きちんと、謝ろう」そう決心し、Mぐるまは段ボールを抱えたまま
テストキッチンの扉を開けた。

「N先輩、調子に乗ってスイマセンでした!」
Mぐるまは大きな声で、潔く反省の気持ちを伝えた。

「・・・・・・・・・それ、なに?お詫びの品?」
両手に大きな箱を抱え深々と頭を下げるMぐるまを見て、N先輩は質問した。

「そういうことにしようかな」と思わなかった訳ではないが、
機嫌取りのために、中身も知らない箱を差し出すのはリスクが大きかった。

「あ、これは社長がくださったんです」カウンターに箱をおろし、
ガムテープをはがして中を開けてみた。

「・・・・・・・手拭い?」
中身は、Mぐるまの顔が豆絞り調に施された手拭いだった。

「ふっ」とN先輩が笑ったような気がした。
それが、鼻で笑ったものだとしてもMぐるまは嬉しかった。

「N先輩、俺この手拭いどうしていいかわかんないです!
でも、自分でなんか考えてみます!」
言われたらやる。わからないと聞く。解けないパズルは、諦める。
受け身がちだったMぐるまに「自主性」が生まれはじめていた。

「やってみろよ」ドリンクを差し出すN先輩からは、怒りの表情は見てとれなかった。

「この会社で優しさに甘えていたくはない」
Mぐるまは、仲間の優しさと甘えてばかりだった自分に気がついた。

翌日のMぐるまは、あるひとつの決心をしていた。
それは、ある者には果敢であり、ある者には至極当然の決心といえたが
Mぐるまは前者だった。

「すまん!娘!パパは行くぞ!!」

ボトルキープ業態。通称BK業態と呼ばれるナイト営業のお店のことだ。
娘が生まれて3ヶ月。1日の7割は娘のこと考えるようになった。
「早く帰って娘に会いたい」という思いから、最近はBK業態から足が遠のいていた。

「やだやだ!いかないでパパ!!早く帰ってきて!!」
生後3ヶ月の娘は、まだ駄々をこねることもないのだが
「すまない!許せ!!」と断言し、
「きっとパパは強くなれる」「Get Wild!」と自らを励まし、
手拭いを握りしめたMぐるまは、夜の街に消えていった。

「おしぼりの代わりに使ってみてください」
「いいちこ飲んでるお客様に差し上げてください」
「なんならバンダナ風に頭に巻いちゃってください」
「ハンカチ風に胸元のアクセントとして!」
「秋冬ストールのかわりに!」
「フードオーダーの時にディナーナプキンとして!」
「中尾彬風にネジネジにしてみて!」
「きゃりーぱみゅぱみゅのリボン風にするとか!!」

驚くほどアイデアが出てきた。
Mぐるまの半分は冗談でできている」と社長に言われたように、
お調子者の気質は、BK業態と相性が良かった。

ママさん達は、面白がっていいちこを買ってくれた。
勇気を持って飛び込んで良かったと、安心していた矢先のことだった。

「そんなことより、フードメニューの相談があるんだけど」
ある店のママさんに、食材について相談を受けた。

Mぐるまにとっていいちこ日田全麹は「そんなこと」ではなかった。
今日中にあと3件は受注したい。
そう思って訪れた1件目のお店でのことだった。

「N澤さんの勧めでワインを取り扱っているが、ワインに合うつまみがわからない」
ママさんの相談は概ねワインとフードメニューのことだった。
とりわけ「どのチーズがいいの?」とか「イタリア食材だったら?」とか
Mぐるまの得意分野ではない内容だった。

「これは、いいちこ日田全麹は無理かもしれないな」とは思ったが、
できる限りの知識で対応してみた。
「もう1時間経つな...」目標数字を達成するための時間も限られたきた。

「例えば、盛りつけを工夫するのもひとつの手ですよね」
Mぐるまは小皿をかりて、ポケットに入っていたベビースターラーメンを入れた。
そして、手に持っていた「Mぐるま手拭い」を皿の下に敷いた。

「ワインには合わないと思いますけど、
見た目をそれっぽくすると、雰囲気良くないですか?」

ずいぶんとワイルドなやり方だったが、
見よう見真似で「それらしきもの」をやってみせた。

「あ〜、う、うん…面白いね。この手拭いMぐるまさんの顔なの?」
盛りつけのセンスについては濁されたが、
ママさんは手拭いに興味を示してくれた。

「はい。でも僕は有名人じゃないですから」
Mぐるまは以前Tシャツで有名人だと勘違いされたエピソードを話した。

ママさんは、Tシャツのエピソードを「大変ね」と言いながら笑ってくれた。
それから「私も買ってあげるよ」と言って3本注文してくれた。
「そのかわり、手拭いも3枚くれ」とも言っていた。

「実は社内にワインに超詳しいヤツがいるんすよ。
ママさんがさっき言ってたことそいつにも相談してみます!」

次回の提案と3本の受注を約束して、Mぐるまは店を出た。
手拭いは、密かに5枚置いてきた。

会社に戻ると、すでに23時を過ぎていた。
今日は時間がなく、予定より1件少ない店回りとなったが、
次の店でもいいちこ日田全麹を買ってもらうことができた。
「常連さんにあげたい」と言われ、Tシャツもプレゼントした。
Mぐるまグッズも役立ってるな。とほんのり感じていた。

まだ、テストキッチンの灯りがついている。
「おつかれっす」と扉をあけて覗き込むと、社長とN先輩がいた。
カウンターにはワインに詳しいI川もいた。

「ちょっとおおお、相談にのってくれよおお」
Mぐるまは食い付くようにI川に迫った。

「こんな時間に相談っすか…」とI川は少し困った顔で、N先輩に助けを求めたが
あいにくN先輩は誰かと電話をしている最中だった。

I川の話は少し専門的でMぐるまには難しかったが、
忘れてしまわぬようにメモをとりながら聞いた。
I川は「良かったら自分で作った資料があるんで、明日あげますよ」と言ってくれた。

「おまえ〜、名刺置いてこいよ〜」
電話を終えたN先輩が満面の笑みで話しかけてきた。

N先輩のさっきの電話の相手は、今日のママさんだった。

時間を沢山とってしまったお詫びと、
相談にのってもらったお礼を言いたかったのだが、
Mぐるまの携帯電話の番号がわからなかったため
かわりにN先輩に電話を掛けてきたそうだった。

「良かったじゃないですか」I川は、見直したようにそう声をかけた。
「お前のこと、すげー褒めてたよ。良かったじゃん。
….普通、時間取られると焦るのにさ、お前タフになったじゃん」
N先輩は嬉しそうにMぐるまの肩を叩いた。

「あ、ありがとうございます!」
Mぐるまとしては、3本も買ってくれたママさんに逆に感謝していたのに
まさかお礼を言われるとは思ってもみなかった。

「今、何件達成したの?」
2階のレコードコーナーでAORを嗜んでいた社長に質問された。

「えっと…35件です」
BK業態を走り回っている内に、目標まであと5件というところまで辿り着いていた。

この調子でいけば達成できそうな手応えはあった。
「娘!守る者があるから、パパはきっと強くなれるよ!」
真っ先に喜びを娘に報告したかった。

「…..次は音楽だね」耳を疑うようなセリフが聞こえた。
「夜の社交業界にカラオケは欠かせないからね。
次はお酒と歌の相性を追求したらどう?」

社長は酔ってらっしゃるのだ。その場にいる全員がそう願った。