第1話 ヒーロー見参

「この星のいちばんになりたいの営業成績で俺は」
Mぐるまがこのことを口にするのは、まだ少し先の話である。
「あーい きゃーん ふらーい!」
Mぐるまがこのことを口にしたのは、2009年5月である。

その時、彼の手には「株式会社シバタ 採用通知」が握られていた。
営業経験もなく、まして酒に詳しいわけでもない。
10数年間の芸能生活を経て、20代後半にしての転職。
Mぐるまはやる気と喜びに満ち溢れていた。

「この会社で面白いことをやりたい!」
そう決意し、入社から2年半。
Mぐるまは嫁をもらい、子に恵まれた。
どんなに忙しい時期も、やつれることなく130kgの体重をキープしてきた。

 

順調に幸せを勝ち取っているかのように見えるMぐるまだが

「俺は、面白いことはできているのか?」

いつしかその疑問に取りつかれるようになっていた。
特に、ここ数週間はそれについて悩む時間さえ生まれはじめた。
その時、社長室のドアが静かに開いた。


Mぐるま、ちょっと。ちょっと。」

半分だけ開いたドアから顔を出し、社長が手招きしている。
『ちょっと』というヒントのないフレーズはMぐるまを不安にさせたが、
俳優業で鍛えた作り笑顔で速やかに呼び出しに応じた。
そして読みかけのマンガ本『ピンポン』をデスクに伏せた。

「お前、この夏どうだった?」

社長の唐突かつざっくりとした質問に
『夏=暑い=汗=デブいじり』の構図が一瞬浮かんだが、
わざわざ社長室で話す内容ではないことも判断できた。
とはいえ、突然の呼び出しに緊張の汗をかいているのも事実である。

「し、紳助の件が印象的でした!
僕もあれくらい上手く喋りたいなーって参考にしてたんすよ。
残念っすよね。ね、年末のTHE MANZAIとかどうなっちゃうんすかね?」

緊張感をほぐすために軽い話題から入ってみたMぐるまだったが、
Yahoo!ニュースエンタメ記事情報であることは明らかだった。

「あと、あっちゃん初戦落ち!前田敦子!
AKBやっぱアツイっすよね。SKEの松井も推しメンっすけど」

「え、えっとあとは、の、のだ?野田!そう野田。野田、野田。」

Mぐるまは一瞬調子に乗ってしまったが、軌道を変えようした。
しかし「野田」を連呼することしかできず教養の浅さを露呈してしまった。
より気まずい空間に追い込んでしまったことを後悔し、
Mぐるまは思いきって切り出すことにした。


「エアコン、強めていいですか?」

社長は平然と、むしろ「あ、そっか」といった表情でエアコンを22℃に下げた。
社長にとってMぐるまのこういう言動はなんてことはない。
Mぐるまは社長にとって「そういう奴」なのである。
Mぐるまの半分は冗談でできている』
社長はMぐるまをそう認識しているのだ。
じゃあそろそろ、といった雰囲気で社長が話しはじめた。

「いいちこ日田全麹をさ、売って欲しいんだよね。新規開拓で40店舗。
Mぐるまさ、リーダーやってよ。
新人のU太の面倒もよく見てくれてるしさ。そろそろ、いいんじゃない?」

見たことはあるが、やったことはない。憧れたことはあるが、指名されたことはない。
立候補したことはあるが、同意を得られた試しがない。
Mぐるまにとって『リーダー』という単語はそういう存在だ。

「やります、やります。いいんすか!リーダーって!
僕がリーダーか~。頑張ります!!」

Mぐるまはここ3ヶ月間新人社員U太の面倒を見てきたのだ。
仕事はもちろん、営業車の運転から昼食まで、
先輩としてのできる限りを尽くしてきた。
社長の手前、少しおおげさに驚いてみせたが
思惑通りという節がないわけでもない。

株式会社シバタは、実力主義である。
キャンペーンや社内コンペでチームを組む場合も、社歴でリーダーが決まることはない。
先輩・後輩に関わらず、リーダーはチームをまとめ、結果を出すのが仕事である。
「先輩」を理由に、遠慮するような人材ではリーダーに任命されることはない。

「お前、最近たるんでねーか?もっと頑張れよ。
つっても俺より結果出すことはできねーと思うけど」

Mぐるまは数ヶ月前に小柄な先輩社員に言われた言葉を思い出した。

その言葉はMぐるまにとって腹立だしくもあったが、
奮起させるものでもあった。

そっくりそのままあの先輩に返してやりたいだとか、
まずはU太に言ってやろうだとか、
リーダーとしての自分を想像するとMぐるまのワクワクは止まらなかった。
ずっと望んでいた「面白いこと」がやれそうな気もした。

「ま、今回はMぐるま一人で頑張ってみてよ」

社長は 、Mぐるまの気持ちを知ってか知らずか極めてナチュラルな口調で
Mぐるまにとって鋭利な内容を告げた。
もちろんMぐるまの表情が固まったことには気がついていたが、
ナチュラルに拍車をかけてむしろオーガニックとも言える口調でこう続けた。

「日田全麹、馴染みあるでしょ?Mぐるまは的場浩司も好きだよね?」

まだ凍り付いているMぐるまを見て、社長はさらに続けた。
その口調はオーガニックに拍車をかけてロハスの域に達そうとしていた。
「あと半分なんだよね、Mぐるまは。Mぐるまの半分は冗談でできてるじゃない?
そこはいいんだ、評価してるよ。
でもさ、やっぱりMぐるまの全部を知りたいじゃない。残りの半分見せてよ」

Mぐるまは、社長の言っている意味がわからなかった。
的場浩司のことも特別好きではなかった。
ただ、冗談半分なキャラクターとして見られていることは不快ではなかった。
混乱はしていたが、社長の言う「Mぐるまの半分」について質問を投げかけた。

「例えばさ、バファリンは薬物だけど半分は優しさでできてるじゃない?
薬っていう刺激物と優しさだよ。相反するものでできてるんだよね。
それでさ、Mぐるまの半分は冗談でできてるじゃない?
冗談の反対って何かなあ?」

社長は、エアコンのリモコンを片手に持ち3秒ほど間をとった。
そして、エッジの効いた口調に変わった。

「真剣。だよね」

それは、社長がほんの一瞬だけ見せた表情だった。
それからすぐにナチュラル口調に戻り

「せっかくだから、一番になってよ。営業成績で一番って面白いよ。
ま、そういうことだから。ね。」

最後の「ね」の部分だけ声が大きいかったことと、
いつの間にかエアコンの温度が29℃に変わっていたことが
「もう下がっていいよ」の意味を物語っていた。


Mぐるまは、ぼんやりしたまま社長室を後にした。

 

入社して2年半の間、ずっとふざけていたと言われた訳ではない。
社長のいう「真剣」が「営業結果」だということを
Mぐるまは理解している。

もはや、リーダーもチームもどうでも良かった。
日田全麹を新規40店舗獲得するプレッシャーの方が、
遙かに大きかった。
そして、相手がいないため自動的に一番になれることにも
少し遅れて気がついた。

Mぐるまは半ば投げやりな態度で席に着き、
伏せておいたマンガ本を開いた。
するとそのページでは、主人公が潔い宣言をしていた。

「この星のいちばんになりたいの卓球で俺は」
続けて、「営業成績で一番って面白いよ」という社長の言葉が頭をよぎった。

「何?このタイミング」

Mぐるまは失笑しつつも、ちょっとだけその気になりそうだった。
「この会社の一番になりたいの日田全麹で俺は」
そう言って見たかっただけなのかもしれない。
「さんくれろ」とも言ってみたかったかもしれない。

ただ、Mぐるまが一番という面白さに興味を持ちはじめたのは確かでもある。
そして、日田全麹の単独リーダーを引き受けてしまったのも確かではある。

第2話に続く