最終回 いつか、大きな財産になる

 

「忘年会シーズンに向けて、気を引き締めて頑張るように」
専務がこのことを話すのは、ほぼ毎日だった。
「パケット代節約のために、写真は会社のパソコンから送るように」
専務がこのことを話すのは、週に1度の頻度だった。

毎週月曜の朝9時30分から行われる営業会議。
休み明けの朝イチという条件は、
Mぐるまのエンジンが温まるのを待たずに始まる。
ただ、今日の会議は違っていた。

釘付け。
そういって良いほどに専務の一挙一動を見つめ、激しく相槌を打っていた。

挙動不審。
時折、専務の視界に飛び込んでくるMぐるまの姿は、そう映っていたかもしれない。

「では、会議が終わる前にひとつ報告」
専務が切り出した時、Mぐるまは思わず身を乗り出した。

「いいちこ日田全麹が目標を達成しました」
Mぐるまが、待ち望んでいた瞬間だった。

新規開拓40件の目標に対して、達成成果42件。
目標を2件上回る結果を残すことができた。
「みなさん、僕のために色々協力してくださって感謝しています」
促しも待たず、Mぐるまは皆に挨拶の言葉を述べた。

「いや、Mぐるまのためじゃない。会社のためだから」
人肌程度のぬくもりすら感じさせない口ぶりは、
「さすが」と言わざるを得ない、専務独特のものだった。
いいちこ日田全麹の目標達成を、喜んでくれているようだったが、
Mぐるまを突き放すような感も受けた。

Mぐるま、基本を忘れるな。
お前のためにチームがあるんじゃない。チームのためにお前がいるんだ」
専務は、Mぐるまが「僕のために」と言ったことが引っ掛かったようだった。

「こ、細かくねえ? わかってるし!そんなことわかってるし!」
と、Mぐるまが心の中で叫んでいる間も、
今回はN澤がよくフォローしてくれた。とか、
F家が獲ってきた数字も足されてるし。とか、
そもそもお前は..的なこととか、説教寄りの話が続いた。

「ま、なんにせよMぐるまもよく頑張りましたよ」
助け船を出してくれるのは、相変わらずN先輩だ。
「僕の数字なんて、数える程度っすから」
多少含みを蓄えた、優しさベールをチラつかせるのはF家だ。
「僕、アポがあるんで そろそろ…」
クールでマイペースだが、確実な答えを出してくれるのがI川だ。

「なんか、俺…仲間に恵まれてるかもなあ」
会議が終わったあと、Mぐるまはしみじみと思った。
さっきは口うるさく感じた専務の話も、愛情として受け取ることができそうだった

この2ヶ月間、勘違いや思い込みから数々の失敗もしてきた。
そのかわり、失敗を機に学んだことも多かった。
決してスマートとは言い難い不器用な道程ではあったが
「シロートですから」
と自分自身を小さく笑い
「俺はね」と付け足した。

「一番って面白いよ」
最初に社長に言われた言葉を思い出し、やっと意味を理解できた気がした。
「一番って一人ではなれないんだな」
ポツリと頷いた。

「いい仕事したぜ。下手なりに」
N先輩は、Mぐるまの背中を強く叩き、椅子にドカッと腰かけた。

「俺、だいぶ良かったろ?」
背中に受けた打撃で苦笑気味のMぐるまに、
N先輩は尖った口調で一方的に言葉を浴びせた。

「まーじーで!お前トロいんだもーん。
社長から聞かされたときは、ぶっちゃけ厄介!って感じだったけど
ま、俺の評価を上げるチャンスでもあったし?
逆に自分の新たな才能発見!って場面もあったけどね。
熱く語ってみたりとか、ブチキレてみたりとかさあ。
お前も俳優経験あるからわかると思うけどお〜
な、な、アメとムチの使い分け絶妙じゃなかった?
ま、お前も下手なりに頑張ったと思うよ。
でも、俺より結果出すことはできねーと思うけど」

唐突な暴露に目を丸くしていたMぐるまだったが、
「俺より結果出すことはできねーと思うけど」その言葉で忌まわしい記憶が蘇った。
社長室に呼ばれる数ヶ月前、N先輩に同じことを言われて腹を立てたのだった。

「N先輩、ここ2ヶ月の行動って…裏があったんすか?」
じんわりとこみ上げる怒りを抑えつつ、質問を投げかけてみた。

「…作戦。だろ? バカ、裏じゃねーよ。
営業マンだったら当然だろ?
結果を追求する、評価を意識する。これ、俺の基本だから。
………勉強に、なっただろ?」

………………………………………………確かに。
それがMぐるまの感想だった。
悔しい気持ちがないわけではなかったが、これが作戦であるなら巧妙だ。
完ぺきともいえるやり口に、むしろ清々しさすら覚えていた。

「でも、多分近いうちに越えますよ」
怒りとは違った、強い声でMぐるまは宣言した。
そして、不思議そうな表情でこちらを見つめるN先輩にこう続けた。

「先輩の栄光時代はいつですか? 俺は、今なんすよ。
今なら、越えられるかもしれないっす」

N先輩は、しばらく黙った後に椅子から立ち上がった。
「俺を越えるつもりなら…死ぬほど努力しろ。
楽しみにしてるから」
そう言って、Mぐるまの肩をポンと叩いて去っていった。
肩に置かれた手の感覚と、ほのかに浮かべた笑みがやけに温かく感じた。

「優しく頼れるN先輩」の実際は「ひとりの営業マン」だった。
ショックではあったが、この経験が『営業マンMぐるま』の
大きな財産になる予感がした。

その夜、営業先から戻るとオフィスには専務ひとりきりだった。
今朝のこともあり、少し気まずくもあったが
意外にも専務の方から声を掛けてきた。

「N澤と、話したろ。驚いたか?」
声を掛けられたことより、もっと意外な内容だった。

「あいつ、こずるいだろ。でも、俺は営業マンとして認めてるよ。
見習えとは言わんけど、負けるなよ。
あきらめたらそこで、試合終了だからな」
N先輩を新人時代から見ている専務には、全てお見通しのようだった。
Mぐるまが専務とこんな話をするのは初めてのことだった。

Mぐるまには、聞いてみたいことがあった。
「基本を忘れるな」「これが俺の基本」
今日、専務もN先輩も言っていた『基本』のことだった。

「専務、シバタの営業マンに必要な基本ってなんすか?」
今朝言ったじゃねーか!とお叱りを受けても仕方ないという覚悟で質問した。

「社長の言葉を借りれば『提案力とちょっとしたユーモア』だな」
シンプルとも、ざっくりとも受け取れる答えだった。

「そろそろ自分を信じていい頃だ…。
今のMぐるまは、もう十分2ヶ月前を越えてるよ」
専務はそう言って、Mぐるまに紙袋を渡した。
中を覗くと、メガサイズのメロンパンが窮屈そうにおさまっている。

「2ヶ月間、ごくろうさん。俺からのお祝いだ。
俺は、今回のことで社長とMぐるまの距離が近づいたことが嬉しいよ」
専務は照れくさそうに、そそくさとその場を去った。

「提案力とちょっとしたユーモアか…」
メロンパンに左手を添えながら、シバタ営業マンに必要な基本を反芻してみた。

「面白いことがしたい」2ヶ月前は、そのことばかり考えていたのに
いいちこ日田全麹を担当してから、そんな余裕がなくなっていた。
その代わり、少なからず提案という武器を手に入れることができた。

「だったら、もっとできるかも。俺、ほんとはもっと面白いもん」

新たな希望を見い出した途端に、ようやく達成感と安堵感が訪れた。
「よし!今日は早く帰って娘と遊ぼう」そう決めた途端、社長室のドアが開いた。

Mぐるま、ちょっと。ちょっと」
2ヶ月前と同じように、半分だけ開いたドアから社長が手招きしている。
「もう、次のリーダーか・・・?」Mぐるまは、休む暇がない。
「やってやろうじゃねえか!」Mぐるまは、それでも挑戦を続けるのだった。