第5回 モテキ?

今日も、Mぐるまの携帯は鳴りっぱなしだ。

運転中も、営業先でも、食事中ですら鳴り止まぬラブコールは、
いいちこ日田全麹の追加発注や新規発注の依頼が大半を占めていた。

約1ヶ月前、社長に呼び出されて突然任命された
「いいちこ日田全麹拡販プロジェクトリーダー」。

元俳優魂を燃やし、熱い演技を披露した日もあった。
味覚に自信をもてず、テストキッチンで酔いつぶれた日もあった。
焼肉屋で的外れな質問をし、舌を火傷した日もあった。

「あの頃、なんで 俺ダメだったの?」
約1ヶ月前の自分を、半笑いで振り返ってみるが答えは出ない。
答えに辿り着く前に、また携帯が鳴り出すのだ。

面白いように、いいちこ日田全麹が売れた。

これまでと違うのは、先日手帳に書き留めたことを実践しているくらいだ。
「鳥天なんか、すごくよく合いますよ」
「僕、けっこう大分料理詳しいんすよ、やせうまって知ってます?」
「大分の酒ですからね、大分の料理とは相性いいっすよ」
「ま、地産地消的なことですよね」

ほとんどが、いいちこ営業Aさんの受け売りだろうと、
地産地消の意味を間違っていようと、結果オーライだった。

居酒屋では、美人女将に「へぇ、よく知ってるね」と感心され、
Tシャツを着てみせてくれるお店もあった。
どのお店も快くいいちこ日田全麹を購入してくれた。
Mぐるまは「これは、間違いなくモテキだ!」そう思い込んでいた。

 

中には「いやぁ、お願いがあるんですよ〜」のひと言で済むケースもあった。

「なにぃ?何本買えばいいの〜」と、
友達以上恋人未満の、頼めばOKを出してくれそうなお店。

「いいよ」の即答に「いいよって、どこまでいいんすか?」と
うまく交渉まで持っていけるお店。

気がつけば、いいちこ日田全麹の新規開拓店は目標の半分を超えていた。
「この調子だと楽勝だな」初めて余裕が生まれた。

家に帰れば、愛しい妻子がMぐるまを笑顔で出迎え、
営業先に顔を出せば、みんなが手を差し伸べてくれる。
「モテキの俺は絶好調だぜ!」
Mぐるまの調子は、加速度を増す一方だった。

「最近、どおよ?」
その日の朝、N先輩はいつになく優しい口調でMぐるまに声を掛けた。

「もう、めっちゃ可愛いっすよ!この前なんかファミレスで..あ、見ます?」
Mぐるまは携帯を取り出し、愛娘の画像を見せた。
N先輩がその画像を見るのは既に3回目だったが、
初めてのような素振りで「かわいいじゃん」と対応した。

「そうじゃなくて、いいちこ日田全麹だよ。俺なりに心配してんだけど」
N先輩は、食い違った話を元に戻した。

「あ〜〜、ハイハイハイハイハイハイハイ。アレのことですかぁ」
急に大きくなったMぐるまの声とハイの多さに、N先輩は圧倒された。
「心配ないっす、大丈夫っす。今となっちゃ、楽勝じゃね?的な感じっす」
『テキトー』が売りのタレントのように、Mぐるまは軽い口ぶりだった。

「お前さ…」言いかけたN先輩のセリフは、Mぐるまの着信音に遮られた。

「どうも〜〜、Mぐるまですぅ〜〜」と、いつものように喋り出すだろう。
そう思い、N先輩が席を外そうとした時だった。

「あ、いっすよ」
Mぐるまは着信に応答せず、携帯をマナーモードに切り替えた。
「多分、日田全麹の追加っす。ま、最近はこんな感じなんで」
嬉しそうというには、違和感の残る口調だった。

「いや、すぐ折り返せよ。つーか、出ろよ」
機嫌の悪そうな、低く重い声だった。
その理由は掴めなかったが、Mぐるまが取り繕うように「だって」と口にした瞬間
「マジで」
ぶつけるように言い放ち、N先輩はその場を去ってしまった。

Mぐるまは、喜んでもらえると思っていた。
着信を一旦マナーモードにしたのも、N先輩に対する気遣いのつもりだった。
褒められたいという期待は、行き場を失ってしまった。

マナーモードにした携帯がポケットでブルブル震えだした。
今度は「どうも〜〜、Mぐるまですぅ〜〜」と、いつものよう電話に出た。

「もしもし、日田全麹の件なんだけど…」予想通りの会話が進み、
Mぐるまは、またしてもモテキを実感していた。
午前中に来て欲しい。そう言われて時計を見ると、11時を過ぎたところだ。

急いで準備をし、会社を出たところの駐車場で後輩のF家とすれ違った。
「あ、Mぐるま先輩。最近調子いいみたいじゃないですか!なんかあったんすか?」
どこで誰に聞いたのか、F家はMぐるまのモテキを知っているようだった。

「そー!そーなんだってば!!聞いてくれよぉぉぉぉ」
これまでのMぐるまなら、そう答えたはずだった。
だが、今は違う。Mぐるまはモテキなのだ。

「モテ男たるもの、クールであれ」誰が言ったでもないMぐるまの思い込みだ。
汗っかきで基礎体温が微熱レベルのMぐるまは、F家にクールを装ってみせた。

「べつに。俺 何も努力してねーし 外出てねーし」

F家は、Mぐるまの手に握られている営業車のキーを一瞥し、
「あ、そうですか」と聞き流して駐車場を後にした。

F家の方がクールじゃなかった?そんな疑問がよぎったが、
急いでいたこともあり、そのまま慌てて営業車に乗り込んだ

道路は、予想以上に渋滞していた。
「木金のトヨタ渋滞は終わったはずなのに、一体何渋滞だよ〜」
前方を覗き込むと、カップルを乗せた車がカフェの駐車場に入れず
路上に停車していたため、車線を詰まらせているようだった。

「オシャレなカップル同士でカフェに来る奴全員…..絶滅しちゃえよおおお」
普段は口にしない毒気のある言葉も、モテキなら許される気がした。

11時45分。15分だけの『午前』を確保して、店の扉を開けた。
「ギリギリになっちゃってスイマセン!」
頭を下げるMぐるまに、女将さんは優しかった。
「いいよぉ、気にせんでー」そのひと言に、再度モテキを噛み締めた直後だった。

「あんたのことは、よろしく言われとるんだわ。Nさんに」
ドクン。 と、胸が冷たくなるような嫌な予感がした。

Mぐるまが元俳優で、個性的な奴だということ。
・いいちこ日田全麹をひとりで担当していること。
・テストキッチンで悩んでいたこと。
・前向きに提案を始めたこと。

女将さんは、ほぼ全ての経緯を知っていた。
GO!GO!Mぐるまのブログを読んでくれているのかと思ったりもしたが、
女将さんの口から連呼される「Nさん」を聞く限り、可能性はゼロに近かった。

「みんな、買ってくれとるでしょう?Nさんに感謝せないかんよ」

N先輩がMぐるまを宣伝してくれたのは、この店だけではないだろう。
そんな予感が、これまでの自信と相まって複雑な角度から胸を締め付けた。

Mぐるまは、帰りの車で少しだけ泣きそうだった。

 

「根回ししてくれてんだもんな、そりゃ怒るわ...」
今朝のマナーモードの件も、これで腑に落ちた。

「だったら、...ひとこと言ってくれても良くねえ?」
ため息と一緒に漏れた言葉から、不満の色が滲み出ていた。

確かに、今まで買ってくれたお店はN先輩と面識のある店ばかりだった。
「バカにすんじゃねえよ…」弱々しく呟いた。
情けなさと悔しさで、ズブ濡れになった心を抱えて会社に戻った。

「ありがとうございます」 まずは、そう伝えるべきだと理解していたが
「なんで余計なことするんですか」
N先輩の顔を見た瞬間、こぼれ落ちた言葉だった。
そのひと言に驚いているのは、N先輩よりもMぐるま自身だった。
「しまった」と思ったが、すでにN先輩の目つきは睨みに変わっていた。

 

「自分ばっか傷ついたみたいな顔してんじゃねぇよ ムカツくわ~」
Mぐるまの顔を凝視したまま、N先輩は吐き捨てた。

根回しをしてくれていたN先輩への感謝はあれど、
かりそめのモテキに翻弄され、プライドが傷ついていた。
心を見透かされたような気がして顔が赤くなった。

「お、俺だって…」反論したいのか、弁解したいのか
無計画に発言しようとするMぐるまを、N先輩は見逃さなかった。

「うるせぇよ!
肥えたプライドなんかドブにでも捨ててこいや!!」

N先輩の怒鳴り声が響き、社長室のドアが開いたが
社長はMぐるまと目を合わせるなり、静かにドアを閉じた。

N先輩の暴走を止めようと、F家が仲裁に入った。
「チッ」と舌打ちをしてN先輩は去り、Mぐるまは唖然と立ち尽くしていた。
「大丈夫ですか?」と肩をたたかれ、振り返ると薄笑いを浮かべたF家がいた。

F家の薄笑いが気にはなったが、弱気レベルがMAXに達していたMぐるま
こらえきれずに胸の内を話しはじめた。

「なんだよう!なんでこうなっちゃうんだよ。いい感じだったのにぃ」
「俺の頑張りって無駄だったのかようう」
「今朝まで絶好調だったのに…あの時に戻りてえよ」

うん、うん。と頷いていたF家だったが、
「3つ伝えたいことがあるんです」と切り出した。
「傷つかないって約束してくれます?」という『傷つける予告』を受けたが、
聞かない訳にはいかなかった。

 

1つ目はこうだった
「俺も、いいちこ日田全麹の新規獲得できちゃったんですよね」
2つ目はこうだった
「あの時に戻りてえって、先輩に戻りたいほど輝いてた時なんてあったんすか? 」
3つ目はこうだった
「N先輩、良くしてくれたと思いますけど……..」
N先輩がいかにF家に優しいか、F家のいいちこ日田全麹新規獲得をいかに褒め、
いかにアドバイスしてくれたかを語り出した。

「というわけで先輩に言っときたいのは、
後輩に優しくしてくれる先輩は、ほかの後輩にも優しいって事ですよ」

F家の3つの伝えたいことをまとめると
「調子のんなよ」に他ならなかった。

「俺 天才じゃね?ここまで来といて、この様だぜ?」
その日の夜、Mぐるまはポジティブともネガティブとも取れる独り言を呟いた。

調子に乗ってしまったことは反省したし、
キレられようとN先輩には感謝していた。
F家のことだけは、少し恨みつつあったが、
それも後輩なりに自分を思ってくれてのことだと解釈するよう努めた。

また携帯が鳴り出した。いいちこ日田全麹のことかと思うと、
何とも言えない切なさがこみ上げたが、
ディスプレイに表示されたのは「社長」の2文字だった。

N先輩が怒鳴っている最中に、社長に目をそらされたこと。
おそらくF家との一部始終を、社長は聞いていたであろうこと。
Mぐるまは、これまでにない嫌な予感に襲われた。
気がつくと、親指がマナーモードのボタンに乗っていた。